未来のための哲学講座 命題集

命題集,哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘

Entries

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (1)何のための学問、認識なのか? 目的と価値基準を明確に自覚化せよ!

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (1)何のための学問、認識なのか? 目的と価値基準を明確に自覚化せよ!

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、必ず知っておくべき基本命題集です。

【何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。】
 何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、現に存在するものを問題化する価値的な視座を獲得し、それを明確にする必要がある。特定の価値基準から独立な客観的な学問という「没価値的」実証主義、技術主義には、注意が必要だ。なぜなら、プラグマティックな技術目的、アカデミックな「専門」課題、ジャーナリスティックな流行テーマ等々は、その価値基準が外的に課されてあるだけで、目的を収奪され、疎外された知的営為にほかならないからだ。実践的な目的をもたず、したがって内的に必然的な問題意識をもたぬ認識主体にとっては、認識の総体性は解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化せざるをえないがゆえに、世界の把握は、認識それ自体としても透徹することができない。ところで、その想像力そのものがふたたび支配の思想によって深く浸透されていること、さらにわれわれの存在様式そのものによって深く拘束されているとしたら、どうだろう。ここに、真に切実な問題がある。

[まとめ図]
「没価値的」実証主義、技術主義
       ↓
 プラグマティックな技術目的
 アカデミックな「専門」課題
 ジャーナリスティックな流行テーマ

②実は、
 行為者とは別に設定された目的
(行為者の本来の目的は、奪われてしまっている)
       |外的に課される
       ↓
 プラグマティックな技術目的
 アカデミックな「専門」課題
 ジャーナリスティックな流行テーマ
       ↓
 認識の総体性は解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化

そこで、何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ!
 現に存在するものをのり越えてゆく想像力
       ↓
 価値の基準の明確な自覚化
       ↓
 現に存在するものを問題化する
(内的に必然的な問題意識)
       ↓
 客観的な情況の真に透徹した認識

④真に切実な問題
 想像力を制約するものは何か?
(支配の思想、われわれの存在様式)
       ↓
 現に存在するものをのり越えてゆく想像力

 「このような、いわば解放の実践的な議論の前提としてのみならず、《客観的な》情況の真に透徹した認識そのものにとってもまた、このような《価値》の基準の明確な自覚化が要請される。実践的な目的をもたず、したがって内的に必然的な《問題意識》をもたぬ認識主体にとって、現実はただ混沌とした諸事実のカオスでしかない。(にもかかわらず人が現実について何かを語ろうとするときは、整序する基準がじつは《即自的に》前提されざるをえない。近代市民社会の秩序のうちにある知識人にとって、これらの整序の基準とは、プラグマティックな技術目的アカデミックな「専門」課題ジャーナリスティックな流行テーマ等々として《外的に》課されてある。近代「科学」の体系における「没価値的実証主義技術主義とは、《目的》を収奪され、疎外された知的営為にほかならず、それはまさしく、目的を収奪され、疎外されたプロレタリアートの労働の正確な対応物にほかならない。そこでは認識の総体性解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化せざるをえないがゆえに、世界の把握は、認識それ自体としても透徹することができない。)
 世界の総体的な把握が《認識として》透徹しうるためにも、まずみずからの価値的な《視座》それじたいの明晰な対自化が前提されねばならない。たとえば近代市民社会の運動法則を根底から把握しうるためには、その総体を《問題化》する視座として、近代市民社会を超えた社会の構成原理が原理として獲得されていなければならないだろう。歴史的に存立する対象世界の真に根底的な認識は、《想像力》がすでにその情況を超える非在の視座を所有し、この〈問題化する意識〉をもって対象に深く内在することによってのみ獲得しうる。
 《想像力》こそが、人間の行為を動物の反射的運動と区別して、現に《あるもの》の《のりこえ》としての主体的《実践》たらしめる。〈その想像力そのものがふたたび支配の思想によって深く浸透されていること、さらにわれわれの存在様式そのものによって深く拘束されているという問題そのものもまた、以上の真理の確認《のうえで》、それゆえにこそ、真に切実な《問題》としてたちあらわれる。〉」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅰ いかなる未来をめざすのか―――〈目的の理論〉、pp.8-9)




ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。




(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


関連記事
スポンサーサイト

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

Menu

Entry

Comment

Trackback