FC2ブログ

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (5)現在の実践は、その意味を未来から受け取る。しかし、これは決して「現実」から「理想」への、単なる橋わたしの道具のようなものではない。

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、きっと貴重な示唆を与えてくれることと思います。

【現在の実践は、その意味を未来から受け取る。しかし、この現在の実践だけが、一回限りの私たちの生のすべてなのであり、これは決して「現実」から「理想」への、単なる橋わたしの道具のようなものではない。】
 およそ現在の実践はその意味を未来から受け取るのであり、偉大な未来の目的こそが、真に意味深い現在の生を私たちに与える。しかし、この現在の実践は、「現実」から「理想」への、単なる橋わたしの道具のようなものではない。なぜなら、この現在の実践だけが、私たちの生のすべてなのだから。これを忘れれば、「明日こそは」というあの永遠の遁走のうちに私たちの生涯は終わるであろう。もし、未来のある「解放」を実現するため、各人の一回限りの生を生きている現実の人間に抑圧を強いるとすれば、それは抑圧の思想と行動に他ならない。
 「ぼくたちが現在的実践の論理を追求しようとするとき、まずはっきりと確認しておかなければならないことは、この現在的実践というものを、過去性から未来性への、あるいは「現実」から「理想」への、単なる橋わたしの道具のようなものとして《物象化》してとらえてはならないということである。
 なぜならばこの現在的実践そのものの中にこそ、ぼくたちの《生のすべて》はあるのであって、ひとたびこの確認を手放したところに実践の論理をたてるとき、そのたしかな生の手ごたえをぬき去られた人生はもはや、亡霊のように時のながれの頭上をかけぬけ、「明日こそは」というあの永遠の遁走のうちにぼくたちの生涯は終り、そして人類の歴史もまた終るであろう。
 未来のある「解放」を実現するためという理由のもとに、いま現実に生きている《この》人類に抑圧を強いるとすれば、そのような思想や行動は、その《現実的意味においては》、なんら《解放》の思想や行動ではなくて、まさしく《抑圧の》思想や行動以外の何ものでもないだろう。
 なぜならばそれは、いま、ここに各人の《一回かぎりの》生を生きている現実の人間《にとって》、抑圧の実践《である》のだから! そしてぼくたちの《唯一の現実的な》価値の準拠とは、《この》現実に生きている人間たち以外にはありえぬのだから。
 このことはむろん、未来のイメージを明確に構想しつつ、それにむかって現在の実践を《合理的に》自己統御するということと、いささかも矛盾するものではない。およそ〈現在〉の実践はその意味を〈未来〉からうけとるのであり、偉大な未来の目的こそが、真に《意味深い》現在の生をぼくたちに与えるのだから。
 大きな目的の実現のためにたたかう人びとが、その実現を《見ることなしに》たおれてゆくことを少しもおそれないのは、その目的にむかう緊張の日々の《さなかで》、その生が《現在において》確固として充実しているからであり、今日という日の〈私〉の生が、けっしてみじめな「道具」などでは《ない》からである。」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅲ いかなる現在の生をえらぶか―――〈実践の理論〉、pp.25-26)




ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。
なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? そこには、科学主義、客観主義の罠と、実存主義、主観主義の罠がある。
価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。
自らの価値の基準に基づく、内的に必然的な問題意識によって意味づけられた世界の、主体的で実践的な認識のみが、願望や情念によって歪められない徹底して客観的な認識に到達し得る。
現在の実践は、その意味を未来から受け取る。しかし、この現在の実践だけが、一回限りの私たちの生のすべてなのであり、これは決して「現実」から「理想」への、単なる橋わたしの道具のようなものではない。



(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル・ライフ
ジャンル : ライフ

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (4)自らの価値の基準に基づく、内的に必然的な問題意識に支えられた主体的で実践的な認識のみが、徹底して客観的な認識に到達し得る。

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、きっと貴重な示唆を与えてくれることと思います。

【自らの価値の基準に基づく、内的に必然的な問題意識によって意味づけられた世界の、主体的で実践的な認識のみが、願望や情念によって歪められない徹底して客観的な認識に到達し得る。】
 単なる観照的認識ではなく、自らの価値の基準に基づく、内的に必然的な問題意識によって意味づけられた世界の、主体的で実践的な認識のみが、願望や情念によって歪められない徹底して客観的な認識に到達し得る。また逆に、この主体性の貫徹は、情況の透徹した客観的把握なしにはあり得ない。簡単な例として、目の前のリンゴの認識を考えてみよ。観照的認識と、「これは食物なのか」という問題意識を持って認識する場合の違い。
 「この総体の認識は、「客観世界」のたんなる《観照的》認識ではなく、主体自身の内部を透過する認識として、また主体による《のりこえ》の投企によってつらぬかれ《意味づけられた》世界の実践的認識として、まさに〈《情況の》理論〉であろう。
 このことはその情況の認識が、《徹底して客観的》であらねばならぬという要請、主観的な願望だの「あふれる情念」だのによっていささかでもゆがめられてはならないという要請を、ほんの少しでもゆるめるものではない。むしろ反対に、透徹して主体的であるもののみが透徹して客観的でありうると同時に、《その逆》もまた真である。「主体性」と「客観性」との形式的な対置こそ、分析理性の陥穽にほかならない。《主体性》の貫徹は、情況の透徹した《客観的》把握なしにはありえぬし、同時にこの《客観性》の徹底は、《主体》自身の内部をも透過することなしにはありえない。ぼくたちがこの情況の把握を語るとき、「認識」という通りのよい言葉のかわりに、むしろ「対自化」という言葉をしばしば選ばねばならぬ根拠も、このようにしてあきらかであろう。」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅱ いかなる過去をのりこえるのか―――〈情況の理論〉、pp.18-19)



ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。
なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? そこには、科学主義、客観主義の罠と、実存主義、主観主義の罠がある。
価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。
自らの価値の基準に基づく、内的に必然的な問題意識によって意味づけられた世界の、主体的で実践的な認識のみが、願望や情念によって歪められない徹底して客観的な認識に到達し得る。



(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


テーマ : 哲学/思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (3)価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (3)価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、きっと貴重な示唆を与えてくれることと思います。

【価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。】
 価値の基準の明確化とは何か? それは、ある未来を望ましいものと判定するための基準の明確化だ。では、どのような未来が望ましいのか。それは、私たち自身が、心底においてどのような生き方を欲しているのかを知ることだ。すなわち課題は、人間的な欲求の総体的な把握である。
 「この未来の構想そのものにとって最初の課題は、いうまでもなく、そもそもある未来を望ましいものと判定するための《価値の基準の明確化》である。しかしこのような「価値の基準」は、外からなにか超越的な尺度としてもってくるべきものではなくて、ほかならぬぼくたち自身とその同胞が、心底において《どのような生き方を欲しているのか》、このことの明確な対自化としてしかありえない。
 すなわち「望ましい」未来とは、現に生きている《この》人類にとって望ましい未来にほかならないから、その価値の基準の明確化の課題とは、人間の《人間的な欲求の総体的な把握》以外の何ものでもない。しかしそのためにはまず、疎外された欲望の物象化による欲求概念の矮小化から、人間的欲求のイメージそのものを解き放たねばならないだろう。そして欲求の人間的な普遍性を、《社会的・自然的存在》としての人間の普遍的な存在構造そのものに基礎づけて把握しなければならないだろう。」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅰ いかなる未来をめざすのか―――〈目的の理論〉、p.14)



ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。
なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? そこには、科学主義、客観主義の罠と、実存主義、主観主義の罠がある。
価値の基準の明確化とは、人間的な欲求の総体的な把握に基づく望ましい未来の判定基準の明確化である。



(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (2)なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか?

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (2)なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか?

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、きっと貴重な示唆を与えてくれることと思います。


【なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? そこには、科学主義、客観主義の罠と、実存主義、主観主義の罠がある。】
 なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? 人が生活の糧を得るには社会の仕組みにうまく組み込まれて生きていかざるを得ないが、そのためには夢や希望よりも、「社会の法則」を「科学的」に知る必要がある(「科学主義」「客観主義」の思想)。また一方、仮に、夢や希望があったとしても、この社会の仕組みのなかでは、その夢は「挫折」を宿命づけられたはかない投企として感受せしめられ、せいぜい、あふれる情念をただ秩序への「怒りの表現」「憎悪の哲学」「闇の衝動」等々といった「ラディカリズム」の反射的盲動のうちに分散してしまう(「実存主義」「主観主義」の思想)。
 なお、科学的で客観的な装いをもった未来予測の類には注意せよ!「外挿法」的な予測や「最適解」的な選択というが、前提にされている社会の構造、取捨された要因、設定された条件、選択された指標などが、どのような根拠で決められているか確認せよ。

[まとめ図]
「科学主義」「客観主義」の罠
 「社会の法則」を「科学的」に知る
       ↓
 社会の仕組みにうまく組み込まれて生きる
       ↓
 効果的に生活の糧を得ることができる

②実は、
 行為者とは別に設定された目的
(行為者の本来の目的は、奪われてしまっている)
       |外的に課される
       ↓
 社会の仕組みにうまく組み込まれて生きる
       ↓
 効果的に生活の糧を得ることができる

「実存主義」「主観主義」の罠
     夢や希望
       ↓
 この社会の仕組みのなかでは「挫折」の宿命
       ↓
 せいぜい、あふれる情念の「怒りの表現」等々
 社会とはかかわらない個人的な世界での満足へ逃避

 「昨今流行の「未来学」なるものが不毛であるのは、未来の構想を「学」の課題として組織的に考察しようとする企図そのものにあるのでは《なく》、その構想の《方法論的基礎》の次元の問題である。ここに詳説するゆとりはないが、その「外挿法」的な予測「最適解」的な選択等々における《指標選択》や《加重評量》の恣意性、捨象され前提される《要因取捨》や《条件設定》の根拠の恣意性、等をしばらく問わないとしても、これらの手法そのものの妥当性の《根拠》と《限界》に関しての、根本的な反省の欠如の上に一般化される限り、それはこの物象化された人間社会の存立構造をア・プリオリに不変のものとして前提することによって、人間の真の未来を開くどころか、逆に未来をとざす意識に他ならぬこと、しかもこの物象化された把握が、一つの《実践の理論》でもあろうとするとき、その人間像は抽象化された《主体人間》と《対象人間》とに分裂せざるをえず、したがって(それがその《主体》についての根本的・かつ具体的な構想によって《包摂》されない限りは)、支配のイデオロギーとして機能せざるをえない論理の構造をもっていること、等々。―――しかしぼくたちは、《このような》未来学への不信のあまり、未来の構想《そのもの》にたいしてシニカルであっては断じてならないだろう。
 すでに以上の行論のうちに示唆されているように、ぼくたちの日常意識が、総体的な未来の構想をあたかも「意味のないもの」として根深く感知するのは、ぼくたち一人一人の生が、まさに諸個人を「自由をもった砂粒」として分断し「集列化」するこの疎外の体系のうちにあることの、根源的な無力感から由来する。
 歴史的総体性にたいするぼくたちの個の無力感は、まず《一方》では、ぼくたち自身の形成するこの総体のメカニズムを、あたかも「自然法則」のごときよそよそしい「歴史の必然性」として示し、このような日常の意識に根ざす「科学主義」「客観主義」の思想は、およそ未来の構想を「意味のない」ものとして措定し、「社会の法則」や「歴史の必然」の「認識」に還元してしまう。
 《他方》おなじくこの無力感は、自己の主体的な行為を、総体のメカニズムのなかで「挫折」を宿命づけられたはかない投企として感受せしめ、このような日常の意識に根ざす「実存主義」「主観主義」の思想は、これまたおよそ総体的な未来の構想を「意味のない」ものとして示し、あふれる情念をただ秩序への「怒りの表現」「憎悪の哲学」「闇の衝動」等々といった「ラディカリズム」の反射的盲動のうちに分散してしまう。
 このようにして、科学《主義》と実存《主義》、客観《主義》と主観《主義》は《ともに》、ぼくたちの総体的な未来の構想への意欲と能力を去勢し、したがってまた、これをテコとしてはじめて可能な、客観世界の総体的な認識とその変革の投企をうち砕き、ぼくたちを永久的に疎外の呪われた輪廻のうちにとじこめる日常意識の魔術にほかならない。」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅰ いかなる未来をめざすのか―――〈目的の理論〉、pp.11-13)



ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。
なぜ、夢と希望のある未来が語られることがなくなったのか? そこには、科学主義、客観主義の罠と、実存主義、主観主義の罠がある。




(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (1)何のための学問、認識なのか? 目的と価値基準を明確に自覚化せよ!

人間解放の理論のために 見田宗介かく語りき (1)何のための学問、認識なのか? 目的と価値基準を明確に自覚化せよ!

 見田宗介(1937、社会学)の言葉を、ご紹介します。個人的利害や社会的立場、思想・信条や好き嫌いなど趣味の違いを超えて、日本と世界の未来を真剣に考えようとする人にとっては、必ず知っておくべき基本命題集です。

【何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。】
 何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、現に存在するものを問題化する価値的な視座を獲得し、それを明確にする必要がある。特定の価値基準から独立な客観的な学問という「没価値的」実証主義、技術主義には、注意が必要だ。なぜなら、プラグマティックな技術目的、アカデミックな「専門」課題、ジャーナリスティックな流行テーマ等々は、その価値基準が外的に課されてあるだけで、目的を収奪され、疎外された知的営為にほかならないからだ。実践的な目的をもたず、したがって内的に必然的な問題意識をもたぬ認識主体にとっては、認識の総体性は解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化せざるをえないがゆえに、世界の把握は、認識それ自体としても透徹することができない。ところで、その想像力そのものがふたたび支配の思想によって深く浸透されていること、さらにわれわれの存在様式そのものによって深く拘束されているとしたら、どうだろう。ここに、真に切実な問題がある。

[まとめ図]
「没価値的」実証主義、技術主義
       ↓
 プラグマティックな技術目的
 アカデミックな「専門」課題
 ジャーナリスティックな流行テーマ

②実は、
 行為者とは別に設定された目的
(行為者の本来の目的は、奪われてしまっている)
       |外的に課される
       ↓
 プラグマティックな技術目的
 アカデミックな「専門」課題
 ジャーナリスティックな流行テーマ
       ↓
 認識の総体性は解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化

そこで、何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ!
 現に存在するものをのり越えてゆく想像力
       ↓
 価値の基準の明確な自覚化
       ↓
 現に存在するものを問題化する
(内的に必然的な問題意識)
       ↓
 客観的な情況の真に透徹した認識

④真に切実な問題
 想像力を制約するものは何か?
(支配の思想、われわれの存在様式)
       ↓
 現に存在するものをのり越えてゆく想像力

 「このような、いわば解放の実践的な議論の前提としてのみならず、《客観的な》情況の真に透徹した認識そのものにとってもまた、このような《価値》の基準の明確な自覚化が要請される。実践的な目的をもたず、したがって内的に必然的な《問題意識》をもたぬ認識主体にとって、現実はただ混沌とした諸事実のカオスでしかない。(にもかかわらず人が現実について何かを語ろうとするときは、整序する基準がじつは《即自的に》前提されざるをえない。近代市民社会の秩序のうちにある知識人にとって、これらの整序の基準とは、プラグマティックな技術目的アカデミックな「専門」課題ジャーナリスティックな流行テーマ等々として《外的に》課されてある。近代「科学」の体系における「没価値的実証主義技術主義とは、《目的》を収奪され、疎外された知的営為にほかならず、それはまさしく、目的を収奪され、疎外されたプロレタリアートの労働の正確な対応物にほかならない。そこでは認識の総体性解体し、断片化し、抽象が抽象として固定化せざるをえないがゆえに、世界の把握は、認識それ自体としても透徹することができない。)
 世界の総体的な把握が《認識として》透徹しうるためにも、まずみずからの価値的な《視座》それじたいの明晰な対自化が前提されねばならない。たとえば近代市民社会の運動法則を根底から把握しうるためには、その総体を《問題化》する視座として、近代市民社会を超えた社会の構成原理が原理として獲得されていなければならないだろう。歴史的に存立する対象世界の真に根底的な認識は、《想像力》がすでにその情況を超える非在の視座を所有し、この〈問題化する意識〉をもって対象に深く内在することによってのみ獲得しうる。
 《想像力》こそが、人間の行為を動物の反射的運動と区別して、現に《あるもの》の《のりこえ》としての主体的《実践》たらしめる。〈その想像力そのものがふたたび支配の思想によって深く浸透されていること、さらにわれわれの存在様式そのものによって深く拘束されているという問題そのものもまた、以上の真理の確認《のうえで》、それゆえにこそ、真に切実な《問題》としてたちあらわれる。〉」
(見田宗介(1937-)『人間解放の理論のために』序 解放の〈全体理論〉をめざして Ⅰ いかなる未来をめざすのか―――〈目的の理論〉、pp.8-9)




ここまで、目を通して下さり、ありがとうございます。
当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 さて、まとめとして、ご紹介した見田宗介さんの言葉を、下記に一覧化しておきましょう。

何のための学問、認識なのか? 目的を明確にせよ! そのためには、現に存在するものをのり越えてゆく想像力によって、価値基準を明確に自覚化する。こうしてはじめて、客観的な情況の真に透徹した認識にも到達できる。




(出典:朝日新聞「一編の長編小説のように」見田宗介、初の著作集 2011年11月25日10時44分)

見田宗介(1937、社会学)
真木悠介 樹の塾 掲示板
見田宗介さんの本(amazon)
検索(見田宗介)
ニュース(見田宗介)



命題集 未来のための哲学講座

哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘。

当ブログは、下記ランキングに参加しています。
もし、当サイトの理念にご賛同いただけましたら、クリックして応援していただければ嬉しいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

04月 | 2019年05月 | 06月
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -


最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

未来のための哲学講座 編集部

Author:未来のための哲学講座 編集部
未来のための哲学講座(命題集)
命題集,哲学,思想パーツ集,コンセプト集,真に拠り所とすべき情報群,事実群,処世術集,忘れ去られた夢や理想の発掘

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR